The Life of
Charles M. Schulz

1940年

セントラル高校の12年生(最終学年)在籍中、「Draw me!」という、当時ミネアポリスの造幣局の一部門だったフェデラルスクールの通信講座の広告を母がみせてくれた。それがきっかけで、のちにアートインストラクションスクールズの漫画制作の通信教育を受講することに。

1941年

高校卒業後、雑誌に漫画やイラストの投稿を始める。ウォルト・ディズニーの仕事にも応募した。

1942年

20歳。第二次世界大戦戦時下、シュルツは同年代の青年たちと同様に召集されアメリカ合衆国陸軍に従軍。

© SFIPT, Courtesy of Charles M. Schulz Museum and Research Center

1943年-1944年

ミネアポリスのスネリング予科訓練所に入隊し、数日後に母が子宮頸がんで50歳で他界。

© SFIPT, Courtesy of Charles M. Schulz Museum and Research Center

1943年-1944年

母の葬儀に参列するために帰省。その後ケンタッキー州とテネシー州の境にあるキャンベル駐屯地で基礎訓練を受ける。

© SFIPT, Courtesy of Charles M. Schulz Museum and Research Center

1943年-1944年

キャンベル駐屯地で、ミネソタ出身の同僚兵士たちやミズーリ州セントルイスで警官だったエルマー・ハグマイヤーなどと友人になる。

© SFIPT, Courtesy of Charles M. Schulz Museum and Research Center

1943年-1944年

シュルツはキャンベル駐屯地での軍隊での訓練のかたわら、暇をみつけてはスケッチブックに軍隊生活を描いたり、エルマー・ハグマイヤーが妻に送る手紙の封筒にイラストを描いたりして過ごした。

© SFIPT, Courtesy of Charles M. Schulz Museum and Research Center

1945年

アメリカ陸軍の輸送船ブラジルでボストンを出発。2週間かけて大西洋を渡り、フランスのル・アーブルに上陸した。

1945年

5月8日にドイツ、8月15日に日本が降伏し、シュルツは正式に軍から除隊した。

1946年-1948年

センポールに帰還してすぐ、母校のアートインストラクションスクールズのインストラクターとして働き始める。

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