The Life of
Charles M. Schulz

1952年1月6日

「ピーナッツ」、フルカラーの日曜版がスタート。

1952年

モンテがコロラドスプリングスで誕生。シュルツ家は4人家族に。シュルツ一家はミネアポリスにふたたび戻る。

1952年

新しい長いオリジナルストーリー漫画の依頼を受ける。多忙だったためア―トインストラクションスクールズの元同僚デール・へ―ル、ジム・サッスヴィル、トニー・ポクリニッチを雇い、1964年まで作り続けられた。

1952年

ラインハート&カンパニーから「ピーナッツ」最初のペーパーバック版の単行本が発行された。

1953年

次男のクレイグが生まれる。

1954年

ピッグペンとシャーロット・ブラウンがピーナッツに加わった。1951年にはヴァイオレット・グレー、シュローダー、1952年にルーシーとライナスのヴァンペルト姉弟が加わっていた。

1955年

コダックがピーナッツを製品のプロモーションに起用。最初のクライアントとなり、当時人気のブローニーカメラの製品取り扱い書「ブローニー・ブック・オブ・ピクチャー・テーキング」を発行。

1955年

全米漫画家協会から権威あるリューベン賞が授与され、漫画家としてのキャリアにおいて真の高みを極めた。

1956年

娘エイミーが誕生し、シュルツ家の子供は二男二女に。

1957年

シュルツはスポーツがテーマの一コマ漫画「イッツ・オンリー・ア・ゲーム」を発表した。ゴルフ、ボーリング、釣り、ブリッジなどのゲームにまつわる軽妙なギャグを描いた。1950年代後半当時、同時期に複数の作品を新聞で連載する漫画家はごくわずかで、シュルツはそうした漫画家のひとりになった。

© SFIPT, Courtesy of Charles M. Schulz Museum and Research Center

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